写真は島原半島から見た朝日(12.07撮影)
私が2年前にfacebookに投稿した内容です。
今日、「過去の思い出」としてFBで表示されてましたので、こちらで紹介させてください。
(2つの投稿をひとつにまとめてます)
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2013/12/03
11月から週に2日間(8回/月)、夜間ですが葬儀社の手伝いをしています。
社長から、年輩の方が退社されたので夜間だけでいいから手伝ってくれないか、と依頼があり手伝うようになりました。
病院等で亡くなられた方をお迎えに行き、ご自宅または斎場までお運びする仕事です。
(「運ぶ」という表現が適切かどうかわかりませんが)
最初に依頼された時、できるのか?という不安もありましたが、依頼を受けたきっかけのひとつに下記の件がありました。(これも2年前に投稿した内容です)
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2013/10/16
娘が入院している部屋は4人部屋です。
その部屋のひとつのベッドに3ヶ月~4ヶ月ぐらいの赤ちゃんがいます。
名前はわかりませんが、たっちゃんと呼ばれてます。
昨年7月に娘が入院した時に、横のベッドにいました。
たっちゃんは見た目は3、4ヶ月ですが、本当はもう1歳を迎えようとしていました。
昨年、最初に見たときは、とてもかわいいという印象でした。
ベッドの上をゴロゴロと動き回り、その度に身体に付けているセンサーがズレて、看護師さん達を困らせていたものです。
まあ看護師さん達もそのつど抱っこしてたっちゃんを可愛がっていました。
私が見ていた時は、ほとんどの看護師さんが抱っこしていましたね。
身体のどこが悪いのかはわかりませんが、鼻に酸素の管が少し入り、手は自分で管を取らないように丸い手袋がしてあります。
ただ、たっちゃんには寂しいことがありました。
家族はほとんど見舞いに来ないのです。
月に1,2回。それも着替えを持って来て、5分ほどで帰られてます。
我が子に愛しさを感じていないのでしょうか。
もしかしたら何か理由があるのかもしれません。
しかし、これではたっちゃんがとても可哀想。
今年の2月に、また娘が一週間ほど入院したときも、たっちゃんは相変わらず元気に動き回り、そのつど看護師さん達に笑顔で抱かれていました。
そして先月半ばにまたまた娘が入院したのですが、やはりたっちゃんは相変わらずでした。
その後、ちょっと様態に変化がありICUに入っていると聞いていました。
そして今日、事実を聞きました。
たっちゃんは・・・、お空へ登っていったそうです。
まだ2歳の赤ちゃん。
生まれて育ったところは病院のベッドの上。
お母さんの温もりは知っていたの?。
お父さんの大きな手を感じたの?
そして
お母さんが呼ぶ「たっちゃん」と言う声は聞いたの?
なぜ神様はこの世に生を受けた子供に、このような罰を与えたのでしょうか。
たった2年で人生の幕を閉じたたっちゃん。
親以上に愛情を注いでいた看護師さん達の悲しみは、どれだけ深かったことかと思います。
今日、「生きる」とはどういう事か、考えてしまいました。
辛くても、そのすぐ後には楽しい事が必ず来る。
言葉で書くと簡単ですが、辛いときは辛いだけなのです。
先の事など考えることはできないのです。
でもこの辛さも、いつまでも続くものではない事も知っています。
あれをやっておけばよかった。
このような後悔をしない事が生きていく事なのでしょう。
今日は感じるものがありましたので、悲しい出来事でしたが投稿させていただきました。
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「死」とは、どういうことなのでしょう。
「生きる」ってどのような姿なのでしょうか。
考えさせられました。
そんな時に社長から依頼されたお迎えの仕事。
普通は葬儀社の社員でないとできない仕事です。
でも私にもできる環境を用意されたということは与えられたのかな、と。
やってみようと思いました。
「死」というものを知ることで「生きる」ということをもう少し理解できればと思います。
でもまだまだ掴(つか)めませんね。
難しい課題です。^^